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vol.276 2025年7月号

岡山県災害薬事コーディネーター紹介のリレーバトン

岡山赤十字病院 河村 茉衣

岡山赤十字病院の河村茉衣です。普段は、岡山赤十字病院の製剤課でがん専門薬剤師として勤務しています。今回、同じ岡山赤十字病院の石橋先生よりバトンを受けました。リレーをつなげていきたいと思います。

私が災害支援の興味を持つきっかけとなったのは、就職した赤十字病院になります。日赤といえば災害支援、自衛隊の次に思い浮かぶと思います。就職した年に、東日本大震災が起きました。業務終了後、救護バッグの薬剤のセットの手伝いをしたのを覚えています。そして、石橋先生をはじめ先輩方が救護に行く背中を見てきました。後方支援も立派な災害支援と教えられ、派遣に行った先輩方の穴を埋めるべく、病院での業務を行っていました。ただ、日赤に就職したのだから、後方支援だけでなく救護活動をしてみたいと思いました。

数年後、病院での救護班のメンバーとなり、西日本豪雨で初めて救護活動に参加しました。この時に想像以上に人や組織や物が動くということを身近に感じました。支援に行くこと、薬品の流れ、現場での需要など全体の流れに興味を持ちそれが災害薬事コーディネーターの講習会を受けるきっかけとなりました。

これからも、積極的に講習会に参加し来る南海トラフ地震で、自分にもなにかできることを見つけたいと思います。

幸観堂薬局 秀天橋店 関谷 和彦

地域災害薬事コーディネーターの関谷和彦と申します。今回、岡山大学病院の大川恭昌先生より、バトンをお受けしましたのでリレーを繋げさせていただきます。

普段は玉野支部の幸観堂薬局秀天橋店に勤務しております。現在、岡山県薬剤師会の災害対策特別委員会にも入らせていただいております。私は今までバトンをつながれてきた先生方とは違い、大きな災害に巻き込まれた経験もなければ、まだ被災地に災害支援に入ったこともありません。そんな私が災害対策特別委員会に入り、災害薬事コーディネーターになったのは現岡山県薬剤師会会長の伊達会長から「何か委員会に入ったらどうだ!?」と勧められたことがきっかけでした。勧められた当時、真備集中豪雨災害が少し落ち着き始めた頃でした。岡山県は災害とは無縁の地域だと過信していた私はテレビで流れるニュースを見て衝撃を受けたのを今でも覚えています。少しでも役に立つことができるならと思い災害対策特別委員会を希望して入らせていただきました。

入ってみて驚いたのは皆さんの災害対応に対する熱い思いと、被災者を少しでも救いたいという思い、モチベーションの高さでした。様々な状況を想定した訓練や発災時の医薬品の供給の流れなどを勉強させていただきました。研修後などは私も災害時には少しでも役に立つことができるのではないか。と思えることもありました。しかし被災地に行った先生方の話を聞いて自分にできるだろうかと不安になることもありました。けど災害に興味を持って研修を受け、委員会の先生方からたくさんの刺激をいただきながら地域災害薬事コーディネーターになることができました。

災害に関する資料を見ていると災害はまずは意識することから始まる。と書いてありました。少しでも災害を意識し想定して対応を考えることがとても重要だと思います。今は災害対策特別委員会で災害支援薬剤師のマニュアル作成に携わらせていただいています。皆様も災害に興味を持ち災害支援薬剤師マニュアルを読んでいただけるととてもうれしいです。今後も少しでも役に立てるように活動を続けていきたいと思います。

岡山赤十字病院 薬剤部 小池 彩子

岡山赤十字病院の小池彩子と申します。日常は病棟業務やICTなどの業務を行っています。今回、同じ職場の岡山赤十字病院 河村先生より、バトンをお受けしましたので、リレーを繋げさせていただきます。

私が就職してから発生した大きな災害には、まず東日本大震災があります。職場のテレビで津波の映像を見て大変衝撃を受けたのを今でも覚えています。私の勤める全国の日赤病院には救護班があり、先輩薬剤師が東北に向かった姿を近くで見ていました。その後、熊本地震の時も薬剤師が数名派遣されました。私も一医療者としていつか活動に参加してみたいと思い、救護班に登録しました。そして初めて現場を経験したのは西日本豪雨です。第1班として現場に行き、混沌とした状況の中、避難所の小学校の保健室に診療、調剤スペースを作成して活動しました。そこで感じたことは、想像以上に様々なチームが集まっており、組織系統を理解するのにまず苦労しました。

また薬品の流通やOTC薬の管理など、災害薬事に関してもまだまだ知識不足で、もっと理解を深めたいと思い災害薬事コーディネーターに登録しました。今後も研修会に定期的に参加させていただき、いざという時に慌てず活動が行えるように、準備しておきたいと思っています。

川﨑医科大学附属病院 藤井 哲英

地域災害薬事コーディネーターの藤井哲英と申します。川崎医科大学附属病院ではDMAT業務調整員としても活動しています。

今回、川﨑医科大学附属病院の松島先生より同じ薬剤部内でリレーバトンを受け取ったので、繋げさせていただきます。

東日本大震災の時にDMATを知り、そこから災害支援に興味を持ちだしました。その後2018年より日本DMAT業務調整員になりました。DMATになってすぐに西日本豪雨災害が起こり、倉敷保健所に開設されました保健医療調整本部で本部活動をしましたが、薬剤師会が本部の要請に応じて薬の調達を迅速に進めていたことに感動したことを覚えています。

災害薬事コーディネーターを目指したきっかけは西日本豪雨災害を経験して、DMATでは薬に関わる事はほとんどなく、災害時において薬の調達について薬剤師が理解しておかなければ、新たな災害時に被災者に薬を届けることができないと感じたからです。薬事コーディネーターとして病院薬剤師、薬局薬剤師とコミュニケーションを取りながら、災害に関わっていきたいと思います。

また、有事の際に活動できるよう、研修に参加し薬事コーディネーターとして引き続き努力していきたいと思います。

ハートライフ薬局 藤坂 瞳

災害薬事コーディネーターの藤坂瞳と申します。普段はハートライフ薬局で勤務しています。今回、よりどころ薬局の小川先生よりバトンをお受けしましたので、リレーを繋げさせていただきます。

私は大学、就職等で何度も県をまたぎ移動してきましたが、ありがたい事に一度も災害の被害にあった事がありませんでした。その為7年前の西日本豪雨が、初めて身近に起こった災害でした。自分の親しい人が現場に赴き、救助や避難所の運営をしているのを見て、改めて『恐怖』を感じました。

その後、現在の会社に勤務をして、災害薬事コーディネーターの事を知りました。弊社京町店の北村先生が現場で経験された話、研修会での講演内容を聞き、電気・水や道具等のライフラインがある事は当たり前ではない、また非常事態だからこそ、正確な情報の早急な共有や連携、状況に合わせた判断や行動が必要だと感じました。

私は災害薬事コーディネーターと言っても、まだまだ初心者です。しかし、この様に得た情報を次の人に繋げて、災害を予防していく事も大切だと思います。自分自身も繰り返し研修すると共に、個人から薬局スタッフへ、また薬局から地域の方へと広めるという一翼を担い、防災や減災に繋がればと思います。

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