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vol.274 2025年3月号

岡山県災害薬事コーディネーター紹介のリレーバトン

ザグザグ薬局 高山 哲志

地域災害薬事コーディネーターの髙山です。ザグザグ薬局で薬剤師として働いています。

私は2013年に大阪薬科大学を卒業しました。就職活動中の2011年、東日本大震災が発生しました。当時薬学部6年制の5年目だった私は、津波で家が飲み込まれる映像を見て無力感に打ちのめされました。自分は5年も勉強しながら、何の力も持たない。多くの人が被害を受けているのに、何もすることができない……。

そんな中、支援物資の中でOTC医薬品の仕分けができる人がいない、という記事を見つけました。就職先をOTC医薬品に強い会社に決めた瞬間でした。就職後は薬剤師としての実力を磨く日々を過ごし、ようやく人並みになった頃、西日本豪雨災害が発生しました。今度は薬剤師会の災害ボランティアに参加し、出来なかったこともありながら、しかし確かな手応えを感じました。これらの経験が、災害薬事コーディネーターを目指した理由です。

研修では課題に直面してばかりですが、今後も精進してまいります。よろしくお願いいたします。

アイ薬局駅前店 村木 惇人

地域災害薬事コーディネーターの村木惇人と申します。普段はアイ薬局で薬剤師として勤務しています。

今回、大川先生よりバトンをお受けしましたので、リレーを繋げさせていただきます。

私が災害薬事に携わるようになったのは、岡山大学で災害薬学について研究をされていた名倉先生と出会ったのがきっかけです。薬剤師になりたての1年目に名倉先生と出会い、東日本大地震や熊本地震での薬剤師の活動について教えていただきました。それらの災害が起きたときはまだ学生で、災害薬事など全く知らなかったので衝撃を受けたのを覚えています。それからPhDLSコースなどで災害薬事について勉強していきました。

それから実際に災害医療に関わったのは、2018年の西日本豪雨災害で倉敷市真備町の岡田小学校へ派遣されたのが初めてでした。岡田小学校では、移動式薬局での調剤業務をこなしながら運用方法について調整を行いました。対策本部や避難所、医療チームとの調整業務という貴重な経験をさせていただき、薬事支援体制を整えることの重要性・難しさについて身をもって感じました。

日本は災害大国です。災害に対する備えはとても大事です、ボランティアや支援に行くことだけでなく被災した時のために災害薬事について学んでみてはいかがでしょうか?

私自身も災害薬事に関してまだまだ学ぶことはありますが、災害薬事について興味をもっていただける先生を増やしていけるように、委員会活動や災害薬事コーディネーターとして活動をしていきたいと思います。

倉敷中央病院 薬剤部 竹増 真也

地域災害薬事コーディネーターの竹増真也と申します。普段は倉敷中央病院の調剤室で勤務しております。今回、玉島中央病院の平松先生より、バトンをお受けしましたので、リレーを繋げさせていただきます。

私が災害に関わろうと思ったのは、当院に入職して1年目のとき、教育担当していただいた先輩がDMAT隊員で、災害医療薬剤師学会の災害医療支援薬剤師としても登録されていました。そんな先輩の背中を追って、この世界に飛び込みました。私は令和4年に地域災害薬事コーディネーター、また、令和5年におかやまDMATとして登録されています。

災害対応の経験として、令和6年の能登半島地震の対応で令和6年1月11日-18日の1週間、DMAT第5次隊として、能登の穴水町で福祉施設の支援活動を行いました。また、JMATおかやま7次隊としても被災地支援に入り、石川県庁に設置された、金沢以南調整支部で2次避難所の支援を行いました。いずれも薬剤師としての仕事ではなく本部活動でしたが、DMATでの日頃の訓練のおかげもあり、なんとか初派遣を終えることができました。また、JMATでは、派遣前は不安が大きかったですが、薬剤師会の皆様からのサポートのおかげで、現地ではDMAT派遣の経験を生かし活動することができました。

いつ来るかわからない南海トラフ地震に備え、災害薬事コーディネーターとしても活動できるよう研鑽を積んでいきたいです。私は西日本豪雨の経験がありませんので、尽力された諸先輩方の経験も勉強させていただきたいと思います。ご指導のほどよろしくお願いいたします。

よりどころ薬局 寺井 竜平

災害薬事コーディネーターの寺井竜平と申します。普段は勝央町で薬剤師として活動しております。今回、岡山大学の大川先生より、バトンをお受けしましたので、リレーを繋げさせていただきます。

私が「災害薬事コーディネーター」という役割を知ったのは、今から6~7年前だったように思います。当時は岡山県薬剤師会の相互扶助委員会の担当理事をしており、そこで災害対応について協議していました。その中で、「岡山県にも災害薬事コーディネーターの設置を」ということになり、岡山県庁の医薬安全課を訪問した記憶は今もしっかりと覚えています。その後、設置に向けた協議がスタートし、後任の担当理事や委員の方々のご尽力により、全国でも有数の災害薬事コーディネーター数となりました。

私自身は、災害について全くの無知な状況でしたが、このような経験から災害時の薬剤師の活動について興味を持つこととなり、一般社団法人日本災害医学会が実施している「災害薬事研修コースPhDLS」の受講などを通して災害薬事に関わっていく中で、いよいよ岡山県でも災害薬事コーディネーター育成研修会が実施され、一期生として県知事の委嘱を受けることになりました。その後は、岡山県、特に私が活動している県北の地域住民は「災害」についての関心が低い状況でしたので、「防災」「減災」「災害時の医療」などについての啓発活動を行いながら、災害薬事コーディネーターとして「いざ」という時に備えた地域での連携構築に努めています。

災害薬事コーディネーターとしては実戦経験がないため、引き続き研修・訓練を継続的に行いながら発災の際は速やかに行動できるよう準備を怠らないように心がけていきたいと思います。


合同会社 小川ファーマシー 小川 壮寛

地域災害薬事コーディネーターの小川壮寬と申します。普段はフリーランスの薬剤師として業務を行っています。現在は、よりどころ薬局とさくらさく薬局に勤務しています。

今回、ハートライフ薬局の北村先生より、バトンをお受けしましたので、リレーを繋げさせていただきます。

私の地元では、最近は変わってきていますが、成人すると消防団に入団することは自然なことでした。薬剤師となり地元に帰ってきた私も、多分にもれず、消防団に入団しました。消防団は、消防隊と共に活動することが多く、主に消火活動を行いますが、梅雨時期など雨が多い時期には、水防団として、水災害への警戒にも当たります。そのため、台風が近づき、大雨、洪水の警報が出された時には、よく出動していました。

東日本大震災後は、地元以外へも目が向くようになりました。消防団退団後は、薬剤師として災害に対して何かできないかという気持ちを持ち続けていました。岡山県内でも真備の水害が起こり、岡山県でも大きな災害が起こることを目の当たりにし、この気持ちはますます強くなりました。

岡山県災害薬事コーディネーターとなった現在、実際に災害活動をおこなった経験はありませんが、岡山県災害対策特別委員会の一員となり、災害時における薬局や医薬品供給の支援ができるよう、平時から活動しています。

こやま薬局・泉田店 野亀 翔汰

災害薬事コーディネーターの野亀翔汰と申します。普段はこやま薬局・泉田店で薬剤師として勤務をしております。今回、おかやま薬局の冨坂先生より、バトンをお受けしましたので、リレーを繋げさせていただきます。

私の実家は県北の美作で、湯郷温泉などで知られている方もおられるかと思います。実家が薬局であった事もあり薬剤師を目指し、現在この岡山の地で薬剤師としては働けております。数十年前に実家の薬局が豪雨により床下浸水をした事があります。被害はそこまで大きなものではなかったですが、当時は災害対策などが浸透しておらず、事前に対策ができていればと母が嘆いていた事が蘇ります。

災害薬事コーディネーターという役割について興味をもったのはその経験からで、昨今の災害が起きる頻度からも、非常に大事な役割と感じております。まだ自身としての大きな災害での派遣の経験はないのですが、今後もし大規模の災害が起きた際に、現場で少しでも力になれる存在になれるように研修などにも参加し、災害医療についての知識をつけていきたいと思っております。

最後まで読んでいただきありがとうございました。今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。

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