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vol.278 2025年11月号

縄文の思想

著者 瀬川 拓郎 / 出版社 講談社現代新書2454 
万成病院 森本 宏

縄文時代と翡翠

縄文時代(約1万6千年前~約2,300年前)は、日本列島に定住集落が生まれ、狩猟・採集・漁労を中心とした生活が営まれた時代である。その中で、翡翠(ヒスイ)は特別な存在として人々に扱われた。翡翠は新潟・糸魚川を中心に産出される緑色の宝石で、硬く加工が難しいが、その美しさと希少性から、装身具として珍重された。

縄文人は翡翠を加工するために高度な技術を用いた。砥石や石のハンマーで祖削りを行い、砂と木棒を使った回転式ドリルで穴をあけ、流水や粘土で研磨して光沢を出した。硬い石を加工する縄文人の技術力は、当時の社会の高度な文化を示す一例である。翡翠は糸魚川から東北や関東にまで広がったことが、考古学調査からわかっている。河川や沿岸航路を利用した水運、山道を使った陸路が組み合わされ、広域ネットワークが形成された。また翡翠の美しさは縄文人の美意識や社会的価値を示している。希少で美しい翡翠の装身具は、所有者の社会的地位や権威を象徴した。

縄文人と天文学知識

縄文人の人々は、狩猟、採集、漁労を中心とした生活を営む中で、自然環境の変化を正確に把握することが重要である。そのため、太陽、月、星の動きを観察し、季節の変化や食料確保のタイミングを知る能力が発達していたと考えられる。考古学的な証拠として、岩手県北上山地などで発見された環状列石(ストーンサークル)がある。これらの石列の配置は、夏至や冬至の太陽の出没位置と一致するものがあることから太陽の運行を観測するために利用されている可能性がある。

夏至や冬至、月の満ち欠けに応じた祭りごとを行うことで、社会的役割の認知が行われ、共同体の秩序維持に寄与した。また、集落の配置や住居の方位にも天体の運行が反映されていた。 

縄文人と海民の舟による交流

沿岸部に住む海民は舟を日常的に使い、他地域との交易を活発にした。交流のルートは沿岸ルートと河川ルートがあった。これは単に物資のやり取りだけでなく、文化や技術、信仰の伝播にもつながった。このように舟を通じた交流は縄文人の社会や文化に深く根ざした。海と川を自由に行き来する海民の活動はひろがり、縄文人が自然環境を巧みに利用し、人々のつながりを広げていったことを物語っている。

縄文人から現代人が学ぶこと

自然と共生する生活をし、季節ごとの恵みを無理なく利用することで成り立った。資源を取りつくさず、再び循環する自然のリズムに合わせた生活は、環境破壊や気候変動に直面する私たち現代人にとって大きな示唆を与えている。

縄文社会は共同体を基盤として、集落での生活は相互扶助によって支えられている。更に縄文人は広域な交易を行いながらも、地域ごとに独自の文化を育んだ。現代人が忘れかけている価値を映し出している。縄文を単なる過去として学ぶのではなく、未來を生きるための知恵として参考にしてよいのではなかろうか。

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